4am

鳥のさえずりで目が覚めた。

 

新聞配達かな?

 

エンジン音が聞こえる。

 

ティーネージャーの頃、

ひとりで早朝、新聞配達の音を知っていたことを

思い出した。

 

他の家族はみんな寝ている。

 

最近、鳥のさえずりをアラームにしていたから

アラームオフにしようとしたら

アラームは鳴っていない上、4amだった。

 

寝不足で眠いから🥱しんどいし起きたいわけでも

ないのに。

 

聴覚過敏のせいなのか

 

家族の中でひとり、感覚が違うんだなと

あらためて思った。

 

疲れるからどうにかしないとと思ったり

鈍感になるようにしないとと思ったり

周りの人のように器用にできないとと思ったり。

 

でも、そもそも違うんだなと。

 

違いを変とかおかしいとか同調圧力とかあって

苦しいけど

そもそも違っているだけで

他の人が理解できないから誤解されて

レッテル貼られてしまうわけで

何も悪くないし

他の人の思考を抜きにすれば

そのままで問題なく。

 

4amに起きると大多数のリズムとはずれるかも

しれない。

他の人のリズムに合わせると狂いがちなんだな

となんとなくわかっていたけど。

変えるのではなく、そのままを活かしていくこと、

なかった気がする。

親が合わせてくれることがなかった気がする。

もう生まれて1年、3年後には次の子がいたから

かな。

自分の前にわけのわからない生活からスタートして

環境に振り回されて生きてきた反面

どうしていいかわからず何もできず

マイペースになるしかなかったところもあり

 

自分って何?

 

っていつまでも苦しんでいたのは生い立ちゆえ、

人生半分になってもなんとなく事実はあっても

どういうことなのか

どうしたらいいのかは

全くわからないでいたな。

 

親、家庭の都合というのが大きいとはいえ

見てもらえない不安は孤独を育て

親、家族は楽かもしれないけど

当人は不安と孤独をベースに成長しきってから

ベースを作り直さなければならなくなるって

そうではない人生と大きく違ってくる。

 

息の仕方から違ってくる。

 

親が匙を投げた人生、抱えるには重すぎる。

 

捨てるには悲しすぎる。

 

不安や孤独を育てたとはいえ、

それはそれなりの親の気持ちであり

つくられた自分自身だから。

 

子どもにはそれをなかったことにするのは酷なんだ

と思う。

 

一度、親やつくられた自分を否定しないといけない

わけだし。

 

4amにひとり起きた。

 

どうする?

 

周りが寝ていても大丈夫。

 

周りが起きている時、

どうしたらいいかわからない、

眠い、

大丈夫、

自分を生きていけば大丈夫。

他の人の目からは生きていなくても

自分が自分を見ている。

だから、孤独を感じる。

でも、ひとりでも幸せも感じられる。

周りに見えなくてもどこかにいる、

全く同じ人はいないけど、似た人が。

地球の裏側にいて出会えないかもしれないけど

出会えるかもしれない。

自分が自分を見て、自分でいれば

時間はかかるかもしれない、

いつか見つけてもらえる。

親や家族ではないかもしれないけど。