自信、自分を信じるって何?
ググったら
自分の能力や価値、正しさ
と辞書にあるそうで
自信、自己肯定感なく、暗示が効かない重症度
と思っていて
今もまだそうだけど
認知行動療法?とか心理学、精神医学について
ネットで調べていく内、
あれ?
そもそも確たるものではないよね、
自分の能力や価値、正しさ
信じる理由とかなくて
単純に信じる
思い込める
盲信みたいな
信じるというか
そのまま認める
みたいな感じだろうか?
自信=過大評価と思っていたかも。
自信に満ち溢れるとか言うし。
それは、ゾーンに入っていて最大限
集中して自分を発揮できている感じだろうか。
いつもいつも誰でもそうというわけではないよね。
そのままでいいと思えること
みたいな。
どこでも
ってこと?
地に足ついている感覚みたいなもの?
今ここにいる。
OK
みたいな?
自信の有無は
当たり前にそう思えやすい人と
思うのが大変な人の違い?
自信無くすとか凹むとか
一時的になくなることもある
の
一時的が長かったらしんどすぎるってことかな。
信じられていない時間が長いってことかな。
外見がよいと思れば自信が持てる人もいるわけで。
どれだけ信じられるか?
が安心のバロメーターだとすると
どれだけ信じないかというのもバロメーターだ。
何を信じて何を信じないか
自分の都合の良いことを信じられる人は
自信100%
自分の都合の悪いことを考えがちな人は
自信0%
極端に言うとそんな感じ?
私はどちらかで考えると後者寄りなので
自分の信じていることを自分でよしとどれだけ
できるかってことかな。
そして、それをダメ出しされ続けるよりは、
認め続けられる環境の方が"よし"としやすいわけで。
その反面、環境に依存すると自分で"よし"とする
力が弱まって、環境が変わると自信をなくしやすく
なるのかもしれない。
幼い頃から親から守られてこなかったので
(放任でよしよしされなかった)
自分を"よし"とする感覚を教えられず
自分でなんとかしないといけなくて
これは大丈夫?
何か危険なことがないか?
と心配する人に育ったのかなと思う。
そして、親はそんな私の言うこと(心配)は
スルーだった、スルーは間違ってはいないけど、
フォローもしなかったので、
心配はそのままになってしまった。
今でも
なんでそんなことする?と思っていたと
後から言ってくる親を見ていると
そういう教育を受けてきたんだな、
教えられないまま人生半分も過ぎちゃったんだな
と思う。
わかる人はわからない人に教えることができない、
わからないということがわからないから。
わからない人はわからない→わかるの困難を
経験した人から教えてもらうか
わかるまで頑張り続ける。
周りからなんでそんなことする?って
思われながら。
仕事でも自信満々の人はできない人をできるように
教えることはできていないなとよく思う。
そして、できないということがわからないがゆえに
無意識だと思うけど、できない人ができないように
追い込んだりすることもある。
最近、なんでできないんだろう?と自分でも
思うことがあるのだけど、できる人を目指している
からなのかなと。
できる人の真似をしても
できるようにはならないんだろう。
できない→できるの困難を経験した人、
その→の試行錯誤を多大にしてきた人から
学ぶのが合っているんじゃないかな。
だから、できる、価値がある(どんな?)、正しい
って思うよりも
できるかはわからない、価値はわからない、
正しいかはわからない
でよくて、それをよしとできたらいいんだと思う。
できないからこうする
価値がないからこうする
正しいかわからないからとりあえずこうしてみる
それでよしとして
そのよしを積み重ねて、
いつか"よし"になってもいいんじゃないかな。
今、この瞬間、生きてていいって思えるように
それまではそう思える場所に身を置きながら
時々は否定されるかもしれない社会にさらして、
それでも自分はこの瞬間、生きている、
よし、
って何度も確かめて。
がんばらなくても
よし
って思えますように。
マイナスは次の試合ではチャラ。
いつでも0から始められる。
退場しても大丈夫。
別のフィールドに逃げても大丈夫。
自分の今いるフィールドにたしかに自分はいる。
一時的でも居場所はどこかに見つかるから。