強烈な肩こり、寒さのせい?いや、トラウマ

ですね。

左の頭から肩にかけて急激にかたまって

痛い。

家族の疎外感を突きつけられたからですね。

なんだか皮肉というかジレンマというか

家族に近づくと家族に傷つけられるという

そして家族も傷けられていると

感じているのでしょう。

ひとりハリネズミです。

もぐらじゃなかった。

ハリハリブログにしたほうがいいかも。

ここまできたらお顔のハリも表情のキレもついでに

ついてきたらいいのに。

とググってみたら、ハリネズミモグラだった🙂

ハリうってもらったほうがいいかも

しれないですね。

うったことないけど。

いつかハリネズミに会いにいこ。

 

今のところは逃避なのかもしれないけど

短期的になるのか長期的になるのかわからないけど

一人でケアできる環境に行く

ことだなあと精神科医臨床心理士の情報を

自分で考えて心を落ち着かせた今のこたえ。

 

周りを変えることはできないし

過去に戻ることも

過去をやり直してもらうこともできない。

 

自分自身の問題で、自己責任の国で生きている中で

家族が合わない、助けにならないのであれば、

自分で助けてもらえる、安心できる場所を

自分で探しに行かなければいけないということ

なのかもと。

 

なんで家族を頼ってくれなかったのか?

なんて言う家族ではない。

他人事だから。

きっとケアができて元気になった私を見ても

なんとも思わない。

 

ご飯食べさせてもらって家に住ませてもらって

外に出られるように服を靴を着せてもらって

息は止めないで20年を過ごさせてもらった。

 

それが私の家族だったのかもしれません。

 

母は子供たちがかわいかったと言っていました。

 

本音で、それはいいことです。

 

でも、親も人間だから、家族のことで不服があると

無視をして耐える人でした。

 

だから、言いたいことはそれ以上言えなくなるし、

こちらが悪いと感じさせられていました。

 

それについては親の感情が鎮まって終わり。

 

こちらの問題はそのままでどうにもならない

のでした。

 

あなたはあなた、私は私、

合わないならしょうがないね

 

という家族。

 

人形みたい、

目が死んでいる

と言われていたけど、外側だけは生かされるのは

認められていたけど、自分が自分でいいとは

認められていなかったのかも。

 

人形だから、見た目生きてきたんですね。

 

だから、

 

いたの?

と存在感がなかったり、仲間はずれにされたり、

いじめられたりしていました。

 

職場での無視は他の人もされていたので

無視する人なんだなって思いましたけど。

 

出かける時も1人置いていかれて

後から来なさいと言われて

暗くなってどこかわからなくなって

たまたま交番の前をうろうろしていたので

お巡りさんが一緒に探してくれたこともあります。

 

他のきょうだいよりも不器用で運動能力も

劣っていて。

ついていけなかったなあ。

直向きだったので、めげずに追いかけていた

(でも、意識していなかったけど辛かった、

そうしないといけないと思っていましたね、

置いていかれるだけだから。)

子どもの可能性と力はすごいなと思うと同時に

大事にしてほしかったなって思います。

これから自分で自分を大事にして

子ども時代をやり直さなくてはなりませんね。

 

命は親からもらったものではないんじゃないかな?

自分がクリエイターだったら作ったもののことは

初めてなら尚更、不器用でも大事にする。

子どもの命は親がもらったもので

自分のものなんだと思います。

親はただ自分の人生を歩んで

子どもも自分の人生を歩む。

その世話はしたいからする、

必要だと思ったら

思うようにする。

それが私の望むこととは違っても

今の家族はそう。

かわいいを望まれたお人形、心苦しかったね、

手離されて、

自分の居場所を見つけに行こうね。