気象病なのか?辛い晩夏

なのでブログは下書きに書いていますが

更新はあまりされていないです。

 

いつからか10代にはそうだったような?

太陽が落ちにかかる昼過ぎ、具合が悪くなるのですが

この気圧が落ち切って上がってくるタイミングに弱いみたい

 

台風シーズンなので、楽しいことも楽しめない、

頭が働かないし気絶するし。

 

意味あること、やらないといけないこと、

頭使うこと、が苦しくて大変。

 

そういう意味では好きに創作してブログを彩ってみるとか

そういうのがいいんだと思うのだけど、

 

意味あること、やらないといけないことをしないと

生活が回らないから、進まないのにやっていて

 

すごく大変。

 

だから、モノややることを減らしてシンプルにしたいのだけど…

家族はモノややることを増やすわ、やらないわ、

やらせるわ、で、

どの口が"いっしょにがんばろう"って言って

こうなったのかと

言葉をそのまま信じてしまう自分の人生

こうなるんだなと

こうなるしかないのかと考えれば考えるほど

苦しい…

 

最近は具合悪くても薬飲んで、引きこもりなのに

頑張って外に出るようにして、家族と距離をとるようにして。

 

具合悪くて家にいると文句言われて家事をさせられて

挙句けんかになって何のいいこともない。

 

家族でできないなら外注すればいいのにそれも拒まれて…

 

要は、家族にさせれば安く済むというだけでは?

自分がするならまだしもだから人にさせるって

それは外注と同じなのでは?

お金が動くか動かないかの違いだけであって。

それって自分はやらないしお金も払わない、

"いっしょにがんばろう"じゃなくて

"相手をがんばらせよう"だよね…

何もしないだけだよね…

 

倒れそうだけど家族が何もしないから

自分がするしかなくて

このままでは自分がほんとに成り立たなくなってしまう…

なので、とりあえず働いて、落ち着いたら、

外注したい。

家族が何を言おうとも。

 

お金はね、もったいないかもしれない。

でも、しょうがないじゃん、できないのなら、

頼んで助けてもらうしかない。

 

そういう感覚ないから、自分がやらないのに

家族に要求できるんだと思う。

 

なんでもやってもらって当たり前の子どものままな家族。

 

結婚する時にこの人を養子にしてもいいのか?考えたらよかったな。

 

子どもを育てる大仕事、自分には務まらないと思って

優しいお母さんの夢は大人になって捨てたけど、

自分よりも年上の子どもの養育をすることになるんだったら

子どもを産み育ててみても同じなんじゃないかと思う。

親子だって別々の人間なんだし。

 

何にしても関わる人たちとどう関わるのか

生きている短い間に答えも出ないかもしれないけど

試行錯誤で間違うこともあるけどやっていくしかない。

 

距離を置いたり、縮めたり。

 

曖昧。

 

そういうもの。

 

そういうの苦手っていうのが自分の欠けているとこなんだろうな。

 

家族1人で手一杯だな。

 

だんだんと話が逸れてしまいましたが、

 

わけわかんなくても生きていかないといけないから

 

どんなに何か目指しても曖昧なんだし

 

適当でいいんだよね。

 

何かあるのが当たり前で

 

何もないなんてこともないし。

 

相手だけに何かあるわけでもないし。

 

自分だけがどうにかしないといけないわけではない。

 

疲れているってことは自分一人でうまくいかない方にがんばっているのかも。

 

逃げてもいい。

 

自分だけの世界ではないのだから

 

自分だけで背負う必要はない。

 

背負いあえる一緒に歩いていける人と歩いて行こう、

頑張ろうっていうのはそういうこと。

 

そうやってお互いの弱さを認めて受け入れあいたい。

 

そうすれば気象病だってハンデにはならないはず。

 

弱い自分達が生きていけるはず。