もらうこと=あげること、なのかも

と思ったのは意外と大人になってもサンタさんが

来てほしいと思っている人がいるんだというのを

最近、周りで見聞きしたからでした。

 

そして欲しいプレゼントはモノではないことも

あること。

 

欲しいものがないというのも、もしかしたら

人と仲良くできたらとか

人と一緒に過ごせたらとか

健康無事であれたらとか

もらうよりもあげる方が幸せとか

そういうのもあるのかなと。

 

欲しいものがもらえないというのもあり、

 

裏側を妄想すると納得な思い達でした。

 

※この記事は約2,300文字です。

 

私はもらい下手、あげ下手、人間関係全般下手。

 

最近まではしばらくの間、家族のためのお金に

なっている部分がほとんどだったので

私にはもらえない、とかなり落ちていました。

浪費家の家族のために自分の資産は残らない、

家族の貯金もできないそんな中、

家族のためにがんばっても誰からも何ももらえない

と自分の価値がないような気持ちに。

そして、もらえている周りの人達と比べてどんどん

自分の境遇に悲しんでいきました。

 

最近は仕事を増やし、自分のためにもお金を使う

ようになりました。

 

もらう価値がないという気持ちはトラウマでも

あるかもしれません。

学生時代、修学旅行など学校からの持ち物リストを

親に見せても、必要ない

(持っているクラスメートに借りればいいとか)

と思われて買ってもらえなくて

行ったことがないのでなくても大丈夫なのか

不安でとりあえず持っていかなかった記憶。

行く前から楽しみよりも不安があり、

楽しめなかったですが、今もそんな感じなんだなと

ふと思い出しました。

なので、貧乏なお家のために早く働かないと

と思って育ちました。

振り返ると貧乏ではあったと思うものの

外食したことないとかそれほどではなかったので

配分の問題と思います。

親は親なりの考えがあるから、子どもには

どうしようもないけど、安心はさせてほしかった

かな。

先生に確認してくれるとか。

 

未だにもらってもいいんだということも

もらって素直に喜んでいいことも

わかっていなそうです。

 

もらうのもあげるのもしんどい時があります。

 

言葉や行動と同じようにモノを介して気持ちの

やりとりもあるので、"モノ"ばかりにフォーカスせず

気持ちを受け取ることと気持ちを表すこととして

もらったりあげたりという面もあるかと。

 

不器用で気持ちも資力も余裕がないことも

多いので、タイミングや相手によって

したりしなかったりなところがありますが

 

できる時にお互いにできたらいいな。

 

受け取れるキャパをどう使うか。

稼いで自分で買えるし

モノが世の中に溢れていてモノを手に入れやすく

なっているし。

それも含め自分のことに忙しくて

その裏の気持ちを受け取るスペースも減り。

ヒト・モノ・コトの選択肢がひろがって

選ばないといけない、捨てないといけない。

 

だから、もらうことも相手の気持ちを受け取ると

いうことをあげていることにもなるのかも。

モノだけではなく、共に過ごす時間も。

 

家族って同じ家に帰ってきて

当たり前に空間を共有しているようだけど

お隣さんと言葉を交わすことも少なくなっているの

と同じように、当たり前に空間を共有していても

スルーしていれば、ただそこにいる、

レストランで隣の席に案内された人みたいな関係

と変わらないなとも思ったり。

 

転勤族で育ったので、学齢期に同じ学校で学んだ

同級生と会うこともないし、連絡も途切れていて、

家族も近所に住んでいなくて、気づけば

同じ関係になっているなと。

 

子どもの頃、普段会えない人によく手紙を

書いていて、はじめ何回かは返事が来るけど

その内返事が来なくなって自然消滅となっていた。

 

もらったりあげたりも人間関係も

働きかけがないと始まらないし

反応がないと成り立たない。

 

だから、受け取ること自体もあげることのような

キャッチボールを続けるようなものじゃないかな。

 

最後は誰しも一人だし、動けなくなることも

あるだろうし、物理的に周りにいる人と人生を

歩んでいくというのは、遠くの人に簡単に

会えるようになったり、連絡取れるように

なったり、モノのやりとりもできるようになった

今でも真実なのではと感じ始めています。

 

反応次第なところでもあるけれど。

 

遠くに住んでいて連絡もない家族に

家を出た頃から連絡していたけど

一方通行がどんどんと開いていく関係を年々感じ、

前の世代のように生まれとか育ちとか

過去にはつながらない、

 

義理の関係のようで私にとっては嫌だけど

ご飯食べさせてもらった親、

強制的かもしれないけど分け合ったきょうだい、

約20年ほどの生活の一部に

また晩年の約20年、お互いにご飯を分け合っていく

というのが私の家族なのかと考えさせられている

ところです。

会社も稼ぎを分け合っていたり、

コミュニティとはそういうものなのかもしれない

ですね。

家族や会社もご近所も一生の付き合いでは

なくなりつつあるので、今、見えている周りの

人間関係を確かなものにしていくように

なっているのかも。

 

話が取り止めなさすぎですが、

片思いの種を蒔きつつ、受け取りつつ

両思いを育て大切にしていけたらいいなと。

 

年末年始の休暇は

もらうことも多いのでしっかりお礼をお伝えしたり

時間やモノを周りの方のために使おうと思います。

 

ブログのコメントにもお返事していきたいです。