楽しみよりも危機管理、できなかったな

とハロウィン前の韓国の人混みによる事故の

ニュースをずっと考えていて思い出しました。

 

「人がぎゅうぎゅう詰め」「酸欠で内臓押し上げられる感覚」…「誰かが転倒」人の波一気に崩れる : 読売新聞オンライン

 

今でも自信ないな、

冷めた顔するようにしているけど

お調子者なので。

 

新卒で会社勤め始めた頃には、すし詰め状態で

おしくらまんじゅうのようにして、満員電車で

通勤していたけど、そういうものだと思って

気分悪かったら降りるしかないと他人事なところが

あった。

苦しいのでつま先立ちしたり顔をあげたり、

腕で自分の周りに空間を作るようにしていた。

足はつけないこともあった。

初めの頃は乗れなくて見送っても来る電車はどれも

満員。

前の人を押して、自分は後ろの人から押されて、

乗っていた。

 

通勤電車は楽しかったわけではないけど、

ライブなど

他の場所でも他の人のことはどうにもできない、

自分がそこでどうするかだけだったなあ。

 

そこにいる時点で苦しかったら自分でセーブ、

できる人は進んでいけばいい、

今思えばそういう育ちだった。

 

私ができないことがあっても寄り添ってはもらえず

置いて行かれて育ったから。

 

心配してもどうにもできない、ならない、

そういう親の下で育った。

 

だから、周りのことを気にしながらも

結局、そのことで自分を犠牲にすることはない

と思い、でも、本音ではないから、楽しむふり、

先に進むふりしかできなかった。

 

私のことを気にせず楽しんでいる家族が

羨ましかったし、嫌だった。

 

時は流れ、今もそんなに変わらない。

 

気にして楽しまないのも悪いかなって思ったりも

するし、どうしたらいいのかは未だにわからず

毎回、1人反省会。

 

楽しまなければ、ずっと反省会みたいなもの

だから、楽しめる時は楽しんでもいいのかも

しれない。

 

話がいつも通り逸れているけど、

 

もし、そこで誰かの命が失われたら

もうそういうものだろうとは思えない、

そんなギリギリのところに自分はいるんだろうなと

思う。

だから、楽しんでいても心配もしているんだろう。

 

10年以上経った今でも状況にのまれて

そんな気持ちになりながら状況を楽しもうとする

ところがある。

何もかも忘れて。

 

少しは他人のこと考えられるようになったとは

思いたい。

 

他の人にも自分を優先して、と願っているところも

ある。

 

私のせいにされたくないところ。

 

それも刷り込まれている。

 

私のせいで他の子たちが楽しめないことが

ないようにという母の教え。

 

生かすのはラッキーなのだなとつくづく思う。

 

大事になったかもしれない、ごめんね

はたくさんある。

 

私もたまたま生き延びてた。

 

ギリギリのところで産まれてきただろうし

ギリギリのところで生きている。

 

どこまでするかできるかは別として

どこまで気づくか気づかないかは別として

自分や他人の心や命を優先したり守ったり

そういう意識の方へ行くようにしたいと思う。

 

若い時は短い、命は短い、楽しめる時も短い、

けど、心や命や健康があれば、これからもっと

楽しい日々を続けられる。

これまでも生き延びてきたのだから。