全摘手術を勧められたけど

なんだか、悪くないものも、良くなる可能性も

とってしまうようで

みんなに当たり前にあるものがない自分が

損しているようで

冷静に考えれば

ベストな選択なんだろうけど

決めることができなかった

 

どうにもできないことわかっていたから

クリニックに二の足を踏んでいた自分がいた

 

とにかくクリニックへ行って

まだ大丈夫

そのままでいればいい

ということがわかればいいのでは

と足を進めた

 

体調不良を気遣ってもらえない家族へ

現状を少しでも伝えるためにも

 

職場でも配慮がほしいと思うものの

逆にいられなくなったら困るなと

通院が必要だということを示すしかできずにいた

 

まさか全摘手術を勧められるとは思っていなかった。

 

どうりで不調なわけで。

 

でも、手術はしなくてもよいのだ、

どうしようもなく不調で

耐えるしかなくて

それでいいなら

それが現実なら

それが独りよがりではなく

三者の見立てでもあるなら

 

わかってもらえた気がして

痛みも辛さも気持ち的に耐えやすくなる気がする

 

それでもあくまで個人的なことで

私の人生で

他の人はそれとは関係のないところで生きていく

私だってそうなわけで。

 

それでも、その時、その瞬間だけでも

孤独に抱えなくてもいい

それが癒しであり救いなんじゃないかな

 

プライベートなことだから

職場には話したくなかったけど

状況はわかってもらいたくて

ダメ元で状況だけ話した

 

救いだったのは深く詮索されることなかったこと。

 

私だったら知りたくなってしまうかもしれない…

 

そして、それだけでもありがたかったのに

配慮を示してくださったことがさらなる救いでした。

 

話してよかった

とまでは警戒心が強くなかなか思えないのだけど

 

配慮に感謝してできるだけ職場で働いていけたら

いいなと一安心した

 

これから決着が着くまでやもやするであろう

 

これまでは人生は短くQOLを高める為にと

諦めることが多かったけど

もやもやを抱えてでも諦めたくなくなった

気持ちはブレブレで日毎に変わるだろうけど

後でもっと早く処置していればと思うかもしれないし

ホールドする意味も冷静に考えればなくて

医師のおすすめ通りなんだけど

どちらにしても考えてしまうだろう

楽になってもやもやするか

苦しみながらもやもやするか

 

喪失感の方が回避したいのかもしれない

 

後戻りはできないから。

 

つくづく不器用な自分

 

そういう自分が好きなんだろうな。

 

痛いの嫌だし放り投げたい性分なのに。

 

その内、否応なく手術という日も来るかもしれないし

 

勇気がないのは人生折り返し地点

どんどん自分の生き方の選択肢が狭くなって

失うものが多い気がしているからかな

 

これまではどうにでもなる、どうにかする

って自信があった気がする

 

現実を突きつけられて大きな夢が

どんどん見れなくなっている

 

ささやかな目の前にある幸せをシンプルに

大事にして切なさと共に受け止められたらよいのに

 

がんばって生きているな、私。