滑り止め

というものが余裕ないながらにもあったことを

思い出しました。

 

高校受験に大学受験。

 

高校は倍率が高すぎる推薦で落ちましたが、

その倍率のおかげか倍率が急低下した一般試験で

受かりました。

滑り止めは1〜2校受けて、両方受かった記憶。

キープするお金を1校に払ったかどうかは

覚えていません。

親からは払わなくていいと言われていた記憶。

学費を払えないと言われていたので

一般試験落ちたら、通信制高校に行くんだなと

思っていました。

どちらがよかったのかは今でもわかりません。

 

学費は助かりましたが

推薦の方々のレベルが高くて勉強についていくのが

大変でした。

真面目に勉強していればいいわけではないことを

感じつつ、苦しみつつも、

今もあまり変わらないので、そういうポジションで

生きています。

人目につかず成果を求められずマイペースでいたい

けど、それではお金がもらえないので、

お金のために、できることが真面目なので

それだけ必死に。

 

大学は反対されていたし、

行くお金は家になかったので、

やりたいこととできることと費用で決めました。

滑り止め1校目が受かって、

キープのお金もかかるし、

2〜3校目の行きたい大学も受験の交通費もかかるし

その1校目が一番学費が安かったのでそこに行く

ことにしました。

バブル崩壊、夜逃げ、リストラ、

サラリーマンのお小遣いのやりくり大変そう、

家には18歳以上の大人のためのお金はない、

不景気だなとは思っていたけど、

みんな働いて、

それなりに生きていけると思っていて、

氷河期というのを実感したのは50社以上エントリー

して一年たっても内定なしの就職活動でした。

そして、夢に向かって勉強していたことが

需要が低く、下積みが必要で

下積み時代は大学生のアルバイトほどしか

もらえないし、残業代ももらえないけど、

残業は当たり前。

20年経っても弟子のようなものなので

変わっていないんじゃないかな。

奨学金の返済も、治療費も稼がないといけないし、

一人暮らしもしないといけない。

とりあえずでも生活のために仕事をしないとと

夢どころではありませんでした。

 

ただこの滑り止めの学校に来ていたお仕事で

奨学金の返済も、治療費も稼ぎ、

一人暮らしも続けられたし、今の時代、

大人気のお仕事になったので、

自分で決めなくてもなんとかなるものかもしれない

ですね。

そこに至るまでの過程も無駄ではなくて

必然なのですが、ついつい、後出しジャンケン

要領悪いなとか思いがちです。

 

私は真面目に目の前のことを必死にやっていく

そうなんだろうな。

それが私にとっての要領のよさなんだろうな。

 

他の人からは評価されないですけど、

それは他の人が私になれないからでしょうね。

どんな人でも私になったらこれがベスト、

こうなるように遺伝子にセットされています。

環境や時代のコラボレーションにより

評価が変わったり、はじかれたり、

逆にマッチしたり、何かしらのパズルの1ピースに

なって平和な世界を作るのでしょう。

 

みんながみんな生き急いだら、

みんなで崖から落ちることもあるんじゃないかな。

 

なんでもあり。

 

おさまるように世界はできている。

 

森林浴で深呼吸😮‍💨して、自分に戻ろう。

 

世界の中での自分の違和感吹き飛ばそう。

 

何の話?

 

何かに挑戦するのもいいけど

滑り止めで自分にできることもやっていったら

別の道が開けることもあるかも。

 

中途半端になるなあとか思うけど

中途半端が悪いなんて誰が決めたんだろう?

頑張ったって続けたって100年くらいで

やり遂げられることはそんなにない。

 

人からはプロフェッショナルを求められるかも

しれないけど、中途半端にいろいろやってみても

自分の中で繋がって、自分らしくなって、

そういう世界の中の1ピースもあると思う。