小室さん合格で安心したのは

ああ、これでこのニュースがやっと終わる

という安堵でした。

このニュース

小室圭さん“三度目の正直” NY州司法試験に合格 眞子さんとの今後は?国際弁護士「年収大幅アップで生活安定」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 

合格の直前まで不合格だったらという話ばかりで

 

もうしつこいなあ

 

と感じてタイトルだけで読まなかったりしていたら

 

合格のニュース。

 

これで、1つクリアですよね。

 

あらためて考えると

3度のトライもすごいですし

眞子さんよかったねって思いました。

 

小室さんにも眞子さんにも会ったことないから

わからないけど、

人生を歩み続けられたら、

それだけでいいんじゃないかなって。

 

何が失敗で何が成功かは本当のところは

他人にはわからないのだし。

 

と私も公で一感想を上から目線で書いているのは

よくないのかもしれないけど。

 

未開へのチャレンジは打たれやすいかもしれない

諦め切り替えスピーディーに生きている大きな声

からは無駄だと見られるかもしれない

けど、時には逃げてもいいから、

自分の道を戻ったり回ったりしながら

進めたらいいな。

 

みんなそれぞれ自分だけの限りある時間

自分で決めて失敗して後悔もよぎって

でも自分で決められたら

納得できるんじゃないかな。

 

見られ方に損しているんじゃないかな?

って感じることもあるけど、

直向き、マイペースさ、信念も

生きる強さとできるのかもしれないですね。

 

見られる上では炎上しないこと、

ある程度の評判もウェイトが高いと思いますが、

悪く見られることもおとしめられることもあるし

失敗しないこともないし

やっぱり

直向き、マイペースさ、信念が強いのかも。

 

見られ方はその後でいいのかもしれないですね。

 

私は親族や周りの受けは良くないのですが

自分の生き方に関しては自分ですら自分の生き方を

する以外どうしようもないんじゃないのかなと

今は思っています。

 

親族や周りって近くにいて見えていてわかっている

顔しているけど、椅子取りゲーム、ポジションな

だけであって、個人としてはそれぞれ何の関係も

責任もない他人なんですよね。

 

個人はいろんなステージを持っているのだけど、

ある人との関わりではその一部のステージ上の

ストーリーを共有しているだけで

それがその人(全て)っていうわけではなくて。

 

ステージの選び方、ステージの立ち回り方が上手で

そつなくこなす人もいると思うんですけど

誰かがその空気を支持してくれて成り立っている

わけで。

そんなの知ったこっちゃない、

自分の道を歩いてきた結果だと

思っているかもしれませんが。

 

自分が上手くいっている時って

そうなのかもしれませんね。

 

自分の道を歩き続けて上手くいったら

それはラッキーのタイミングでキャッチできた

ということで、そのタイミングって

自分で作ったかもしれないけど

周りの人が賛同したり我慢してくれたり

協力してくれたりしていないと

そうはならないなと。

 

話が段々と逸れてきたような気もしますが

こうしてマイペースにブログが書けて

それをどんな感想かは別として読んでくださる方が

いらっしゃって、

見られない記事もあるかもしれないけど

でも、アクセスはしてくださったり、

それが、ブログが続いている、上手くいっている

ってことと思います。

 

〇〇ガチャって前に流行りましたけど

ほんと、産み落とされた環境・状況・ハンデは

人それぞれだから、差が出るし、

どの社会にいさせられているかで優劣も価値観感も

変わってくるし、

 

属する社会のどこかにポジション取らざるを

得ないから、その中の他の人のことは

自分とは関係ないっていうのは分断を生むし

病を生むしその社会全体の力が低下するんだろうな

って思います。

 

自分とは関係ないという考え方も

その人の生き方の一つだから、

そういうものなんだろうけど。

 

かと言って、上手くいっている人が

そうではない人のためにできることがあるかと

言ったら、代わってあげることも不可能ですしね。

 

そのステージ上でそこにいる限りは

お互いに一員として認めることが大事なのかな

と思ったのでした。

功績とか立場とか働きとかそういうの関係なく。

その人の役割があってそのステージにいるって

ことです。

 

どう締めたらいいかわからなくなってきましたが、

小室さん、合格おめでとうございます🎉