悲しくて一人では帰れなかった実家に

家族が声かけてくれて帰りました。

 

孫ができてだんだんと実家が孫色になっていました。

 

mogさんは生まれてすぐ下の子が次々と生まれて

親の教育方針も真ん中っ子を救うという方針と

放任だったのと相性が悪かったので

家族に気を使って生きてきました。

 

なので、実家が孫色になるのを見るのは

過去のトラウマがよみがえりとても辛いです。

 

親もそれを感じながらも自分たちの孫ライフを

壊されたくないのかダンマリを決め込んでいます。

 

話し合ってどうにかなるものではない

 

けど

 

相変わらず親都合なんだなと思います。

 

親の生き方の下、生まれ育つしかないから

しょうがないのですけど。

 

家族と行くとゆっくりしたい家族なので

すぐ行って帰るというのがなかなかできないのも

厄介です。

悲しみに溺れて帰りたくなっても

帰ることができません。

今回は前々からの予定ではなかったことと

家に帰らなければならない用事があったので

悲しみで爆発する前に実家を後にすることが

できました。

 

親戚の家に行くという話も出たのだけど

とってもリスキーです。

親戚はお孫ちゃんの親、mogさんの

きょうだいびいきだからです。

どうにか滞在時間を最小限にしないとなって

思います。

 

側から見ればmogさんのわがままなんだと

思います。

でも、涙が止まらない、とても苦しい発作が

起きるのです。

そして、誰にもわかってもらえない苦しみも

その度に降り積もり、涙に癒されることなく

ますます孤独になるのです。

 

家族が声かけてくれなかったら帰っていなかったし

もう一生帰れないと思っていたから

連れてもらってよかったのだけど

もう純粋に帰りたいという気持ちでは帰れないし、

長くも頻繁にもいられないです。

 

親だから憎むこともできないからこそ、

 

強制的に死別があっていつか解放される現実が

 

悲しみからの希望に時々感じる

 

不謹慎だと思いながら。

 

なくなってほしいとは思っていないけれど

 

苦しさという敵と毎回やり合っているのは

 

おそろしいなとも思います。

 

なんで親に似て自分の幸せを求められないのだろう。

 

子どもの不幸せとセットだと刻み込まれたのは

子どもだけだった。

 

親がmogさんの幸せを応援してくれてたら

 

なんてタラレバ

 

投げ捨てて自分の道を歩いて行けたらいい。

 

変えられない過去も変えられない親も

自分の未来だけは自分で変えられるはずだから。

 

それが親が望んだ生き方。

親の家族の幸せ。

そこに生まれただけ。

違うところに行くのも自由。

それが自立。

それが大人。